SOUND MUSEUM VISION

渋谷の地下に広がるこの巨大なスペースには、さまざまな表情があります。

Felix da Housecat

Felix da Housecat

米シカゴ出身のダンス・ミュージック・プロデューサー/DJ。本名、フェリックス・ストーリングスJR。シガゴ・ハウス第二世代を代表するプロデューサーの一人で、様々な名義を使い分け活動。現在は、フェリックス・ダ・ハウスキャットをメイン・プロジェクトに据え活躍している。
プリンスやデュラン・デュランといった’80年代のエレクトロニック・ポップを聞いて育った彼は、14才でキーボードを弾くようになり、音楽制作に開眼。オリジナル・アシッド・ハウスの祖、DJピエールと幼なじみだったこともあり、15才のときには彼のスタジオに出入りするようになっていた。ピエールが1987年にリリースした「Phantasy Girl」は、フェリックスがセッション参加した初の作品として知られている。
その後、彼が本格的にリリース活動を開始したのは、大学卒業後の1993年のことだった。DJAX-UP-BEATS、GUERILLAといったレーベルから次々と作品を発表し、中でもBUSHからアフロヘッド名義でリリースした「In The Dark We Live (Thee Lite)」がヒットを記録。いきなりトップ・プロデューサーの仲間入りを果たした。
1994年には、ベルギーをベースした自身のレーベル、RADIKAL FEARを設立。“ワイルドピッチ・スタイル”と呼ばれる、DJピエール仕込みのハードなハウス・トラックを精力的にリリースし、ハウス/テクノ双方からの人気を獲得した。また、『Metropolis Present Day ? Thee Album !』(’95:フェリックス・ダ・ハウスキャット)、『Thee Industry Made Me Do It』(’95:アフロヘッド)など、アルバム作品も次々と発表した。
そんな彼の作風に変化があられたのは、1999年のことだった。マッドキャット・コートシップIII名義で発表したアルバム『I Know Electrikboy』で、MTV世代らしい、80’sサウンドを全面に打ち出した楽曲を披露。新たな評価を獲得した。80’sリヴァイヴァルの先駆けとなった彼は、さらにフェリックス・ダ・ハウスキャット名義で『Kittenz And Thee Glitz』(’01)を発表。「Silver Screen Shower Scene」「Madame Hollywood」「What Does It Feel Like?」といったシングルが次々とヒットし、エレクトロクラッシュ・ムーヴメントを巻き起こした。本作で過去最大のブレイクを果たした彼は、以降、『Devin Dazzle & The Neon Fever』(’04)、『Virgo Blaktro & The Movie Disco』(’07)と、二作アルバムを発表している。