SOUND MUSEUM VISION

渋谷の地下に広がるこの巨大なスペースには、さまざまな表情があります。

THE AVALANCHES(DJ SET)

THE AVALANCHES(DJ SET)

“わたしの音楽の中には、小さな旋律がたくさん流れている。言ってみれば、音の海洋のようなものだ。海は寄せては返し、うねる。わたしの音楽はいつもうねる。人々の頭の上を越えていくかもしれないし、彼らの一部分を洗い流すかもしれないし、再び活力を与えるかもしれないし、通りぬけるかもしれない。そして、それから、宇宙へ出ていき、また戻ってくるのだ。人々は家に帰って、十五年後にきっとこう言う。“あれっ、十五年前に公園で聞いた音楽だ……あれは美しかったなあ”と。 サン・ラー

“このアルバムを作っているあいだ、ぼくらを動かし続けたものは何かと言うと、日常的に、生きる力としての――生きるエネルギーとしての音楽を経験することへの信念だった。ある歌を、ある朝、聴くことで、その人の一日を変えることができる。つまり、世界の見え方を変える。その日の午後のあいだ、大気を通って屈折してくる光の受け止め方を変える。まさに、その人の世界の色や感情的な気分を変えるんだ”ロビー・チェイター、ザ・アヴァランチーズ、2016年春

こういう話は、何から話せばいいのだろう?

前例のない十六年ものあいだ、アルバムと次のアルバムのリリースの間隔があいたということも、その期間に世界で起こった大改革も、たぶん忘れるだろう。『Since I Left You』が、ぼんやりとした新世代の時代感覚を完璧にとらえていたことや、このバンドのめったにないライヴが、いつも必ず酷い混乱か手足の骨折で終わっていたことも、忘れる。前回のアルバムが、クエストラヴや、ジェイミーXXや、アニマル・コレクティヴといった、多様なアーティストたちに、どれほど影響を与えたかも忘れるだろう。

この音楽から始めてくれ。その屈折した光から始めてくれ。

音響的に、楽しげな色彩が爆発するようななかに、子どもの声――洗練されているわけではなく、何気ないもの――が聞こえて、あなたを別世界へと導く。数秒後には、街角で開かれている、たまらなく魅力的な野外パーティに聞き耳を立てているだろう。そこで、あなたは、薄ぼんやりした陽射しの中、蛍光色のラジオ番組に飲みこまれる。それはまるで明晰夢、かいま見た、まばゆいサイケデリックな夏の時間だ。ぼうぜんとして、口を開けたまま拍手喝采してしまうような――一瞬たりとも注意を反らすことを許さない、音の格子模様だ。そんなふうにして、この本当に並外れたアルバムは始まる。

ロビー・チェイター:“『Since I Left You』で、ぼくらは音楽の世界の一画に、ぼくら自身の静かで小さな場所を築きあげた。その数年後まで話を進めるとね、そのときこそ動きだすときだったんだ。ぼくらは気づくと、インスピレーションを探すうちに、最終的には時間をずっとずっとさかのぼっていた。新しいアプローチは、長いあいだ忘れられていた音楽的なガラクタのかけら――ぼくらが改めてふたを開けてみた、古い自家制作のレコードやストリート・レコーディングしたものの中から見つけたんだ”

こういったアプローチと、それらの要素をもとにして、アヴァランチーズはアルバム 『Wildflower』を制作した。バンドのコアである二人、ロビーとトニー・ディ・ブラシによって作られた『Wildflower』は、まさに、デイジーエイジに再形成されたSmile――圧倒的なロード・ムービーアニメ映画のようで、目を閉じて心は開いて観るのがふさわしい――にほかならない。

このアルバムの21曲は、リスナーを、ねじ曲がった手書きの線をたどる旅へ連れていく。その線は、ムーンドッグの映画「The Viking of the 6th Avenue」のストリート・レコーディングや、ラリー‘ワイルドマン’フィッシャーのようなアウトサイダーなミュージシャンと、その彼がロサンジェルスの通りで行ったアドリブのレコーディングから続いている。そこから、コズミック・レイズの宇宙空間ドゥーワップスタイルを通りぬけて進みつつ、サン・ラーやヴァン・ダイク・パークスのような著名な異端者に会釈する。アルバムでは、ビズ・マーキーの先導するディナータイムの歌「Noisy Eater」で、『Smile』自体へ率直に敬意を表している(ブライアン・ウィルソンのご機嫌なクラッシック「Vega-Tables」への挨拶)。

フラフラするような倍音や、癖になるようなリズムの曲や、過去にフィールド・レコーディングされたいくつものフレーズがぶら下がったような『Wildflower』は、最初から最後までとおして聞いていると(これはシャッフルモードで聴くような類のアルバムではない)、眠気を催してくるようにさえ感じる。繰り返し聴くと、だんだんと、浮浪者の民俗学や喜劇の開拓者、トラヴェラー・ミュージシャンの新たな世界が現れる。

アルバムの個々のストーリー全体をとおして展開されているのは、様々なものの断片で、そこには路上の片隅での会話や、長いあいだ埋もれていた高校生バンドの演奏のレコーディングや、大道芸人やミックス・テープを売り込むラッパー、FMラジオのダイアルを回した時に得られるでたらめな放送番組がある。それらを寄せ集めると、アルバムのそれぞれの曲が(それに曲と曲のあいだの歩道にある隙間が)、超絶に色鮮やかで印象主義的な‘近所の人の人生のある一日’を作りだす。そういった近所の人たちとは、学校をさぼっている子どもたちや、街角で様々な鍋をドラムがわりに叩く変わり者たちや、路上で歌を口ずさむ(それに他の人たちに向けて歌う)男たちや、公園で縄跳びをする少女たちだ。

『Wildflower』を組み立てるという骨の折れる過程のあいだ、チェイターとディ・ブラシは、ゲスト・ボーカリストたちや、同好の志である初めてのコラボレーターたちを招集した。出来あがったアルバムで客演したコラボレーター――昨今の異端者たち――のリストは他に例を見ないもので、そこにはキャンプ・ロー、ダニー・ブラウン、エムエフ・ドゥーム、ジョナサン・ドナヒュー(マーキュリー・レヴ)、トロ・イ・モア、ジョンティ・ダニマルズ、ビズ・マーキー、ジェニファー・ヘレマ(ロイヤル・トラックス)、ワーレン・エリス(ダーティ・スリー、バッド・シーズ)、ファーザー・ジョン・ミスティ、サイコ詩人のデイヴィッド・バーマン、映画音楽作曲家ジャン・ミッシェル‐ベルナール(サイエンス・オブ・スリープ)、それに長年ライヴで共演してきたジェームズ・デ・ラ・クルーズが含まれている。

非常に評価の高かった前作『Since I Left You』(2000年)と同様、『Wildflower』は、サンプルを継ぎ合わせたうえで作られており、そのサンプルのなかには、カリプソニアンのウィルマス・フーディニの作品や、チャンドラのティーンエイジャー時代のパンク・ファンク、モーグ・シンセサイザーのサイエンティストであるモート・ガーソン、とあるコスミック・キッズ・バンドが演奏する「Come Together」(ポール・マッカートニーとオノ・ヨーコに個人的に気にいられた)や、「Livin’ Underwater (Is Somethin’ wild) 」においては、リンダ・マッカートニーとサー・ポール自身(『RAM』より)も含まれる。

ロビー:“ぼくらは、このアルバムを、‘ささやかなもの’や、注目されず、見逃されがちなもののなかの美しさや、ぼくらのほとんどが忘れたり、関わりをなくしてしまっていたり、忙しすぎて気づかなくなっていたりする、人生の‘別の’面における魔法や奇跡のパーティだと考えているんだ”

トニー・ディ・ブラシ:“ぼくにとって、野草(ワイルドフラワー)とは一人の人間――慣例にとらわれない自由な精神の持ち主。彼らは、生まれもった好奇心と人生への熱意を失ったりはしないんだ”

数々の型破りな異端者たちは、つまり、比類のないアヴァランチーズ自身によく似ているのだ